被災54周年ビキニデーアピール
 1946年、米国の核実験によるビキニ被災から54年がたちました。私たちは第五福竜丸の乗組員と広島、長崎での原爆・被爆者、そして世界の核被害者に核廃絶を誓うため、54年目の3・1ビキニデーに集いました。

 世界にはいまでも米ロを中心に2万7000発に及ぶ核兵器が存在しています。いまだ人類は核の脅威から解放されていません。国連を中心とした核不拡散体制の努力も、米印原子力協力によって崩壊されようとしています。

 2000年の国連NPT再検討会議で核兵器保有国が表明した「核兵器廃絶にむけた約束」を具体的に履行させることが必要です。2010年に開催されるNPT再検討会議に向かって、停滞している核軍縮の動きに拍車をかけるため、国内外での核兵器廃絶にむけた運動を強化していかなければなりません。

 同じく目を向けなければならないのは、核被害の問題です。ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ以降も、世界では核実験や原発事故など多くのヒバクシャが生み出されています。チェルノブイリ原発事故、JCO臨界事故などです。

 その中で、核被害者への援護は重要な課題です。広島、長崎の原爆症認定問題や在外被爆者問題、被爆二世・三世問題など残された課題の解決は、年々高齢化する被爆者であるからこそ、緊急の課題です。さらに核実験、原発事故などさまざまな核開発過程で生み出された核被害者への援護と連帯は、被爆国の私たちにとっての責務でもあります。

 また、昨年7月の中越沖地震は、柏崎刈羽原発を直撃し、「原発震災」の可能性が現実的なものであることがわかりました。静岡の浜岡原発は、巨大地震が予想される東海地震の想定震源域の真ん中に建っています。原子炉の事故から多くの核被害が生み出さないため、原発の運転停止は、命を守るため、世界を救うために喫緊の課題です。

 ここ沖縄の核貯蔵疑惑も復帰後36年なんら払拭されていません。それどころか核兵器の一種である劣化ウラン弾が鳥島射爆場に撃ち込まれ、いまだ嘉手納弾薬庫には4万発が貯蔵されています。ホワイトビーチへの原子力潜水艦の寄港も年々増えています。

 54年前、ビキニで被災し・亡くなった第5福竜丸の久保山愛吉さんは、「原水爆の被害者は私を最後にしてください。」と亡くなりました。この言葉をかみしめたいと思います。

 私たちは、ビキニ被災54周年にあたり、核廃絶と非戦の誓いをあらためて確認し、具体的な行動をそれぞれの職場・地域からつくりあげていきましょう。


2008年2月29日



3・1ビキニデー沖縄県集会


 




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